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札幌を拠点に活動する劇団です。2011年1月1日結成。
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役者ノート(1) 感覚への意識

2011.03.06 11:39|役者ノート
こんにちは、小佐部です。
ブログの更新に間隔があいてしまってすみません。

ここから先は、まだまだ未熟な僕が考えていることなので、話半分できいて下さい。


昨日は、人間の感覚やイメージといったものがどうなっているのかを考えていました。

まず、人間には視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚という五感があります。
そして、この五感に障害がないのであれば、人間は映像、音、物理力、匂い、味を同時体感していることになります。
しかし、どれも同じ度合いで体感しているわけではありません。
例えば、パン屋の前でパンの香ばしい匂いがしてきたら嗅覚に意識がいきますし、間違い探しをするときなんかは視覚に意識がいきます。

では、人間の意識がこの五感のみに集まるのかというと、そうではないように思います。
例えば、懐かしい昔の思い出を話している時、意識がどこにいっているかといえば、自分の頭の中につくられたイメージ像とでもいうべきところにいっているように思います。

通常人間が感じる五感が「実在の五感」と言えるのに対し、イメージ像への感覚は「イメージの五感」ということができます。


例えば、一人で気持ちよく口ずさんだり鼻歌を歌っている時、頭の中で、その歌手の歌声や、その歌の伴奏が流れていませんか?
これがイメージの五感です。歌声や伴奏は実際に流れているわけではありません。自分の頭の中で再生されているのです。実在の聴覚ではなくイメージの聴覚に意識がいっているのです。


では、ここから演技の話をします。例えば、アイスクリームを食べている兄が弟に対して「冷蔵庫の他のアイスも俺のだから食べるなよ」という時、兄の意識はどこにいっているのでしょうか。
冷蔵庫の中のアイスクリームというイメージの視覚に一番強く意識がいくように思います。それのみならず、弟の反応を見たいとおもっているなら、さらに目の前の弟に対する視覚にも意識がいきますし、それと同時に、今食べているアイスクリームの味に対する味覚へも意識がいっています。

イメージの視覚60%、実在の視覚20%、実在の味覚10%、その他10%といったところでしょうか。
(その他10%は、少なからず存在する他の聴覚や触覚です)

ところが、台本に書いてある「冷蔵庫の他のアイスも俺のだから食べるなよ」という台詞を読む時、自分の声への聴覚に意識がいっている役者が多いように思います。
つまり、自分がどういう声を出して、それがどういう風にきこえるか、というところに意識がいってしまうのです。
もちろん役者ですから、自分の声がどのようにきこえているかろいうことにも意識がある程度いくのはよいと思います。
しかし問題は、その意識が強すぎるせいで、本来なら強く意識がいくはずのイメージの視覚に、ほとんど意識がいかなくなることです。結果、他の人から見たら、「何を考えているのかわからない」といわれてしまうのです。


少し意識すればわかると思うのですが、濃い薄いに違いがあるものの、ほとんどの時間はイメージの五感(特に視覚)に意識がいっています。絶え間なく誰かの顔を想像したり、ある情景を思い出したり、よくわからない想像上の世界をイメージしているのです。

なので、舞台上で演技をするときは、このような事実を知っておくと、少し変わってくるかもしれません。
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